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																					  税込み価格 2,500円 
																					 
																					萩原式グライダーシリーズの設計と製造で有名な堀川勲氏の功績を讃えて、氏の米寿(2005年17年9月27日:88歳)祝いに合わせて製作された記念DVD。 
																					堀川勲氏は戦前戦後を通して70年間もの永きに渡ってグライダーの指導者として日本のグライダー界に広く貢献。 
																					 昭和60年には(社)日本滑空協会より久富滑空スポーツ賞、平成2年には国際航空連盟よりポール・ティサンディエ賞を受賞。  
																					現役最高齢のグライダー教官として活躍。 
																					 
																					
																						
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																							| 堀川勲氏と自らが設計したH23C | 
																						 
																					 
																					【堀川勲氏のグライダー人生:飛行・製作の経歴】 
																					 
																					
																					大正 6 年  東京生まれ 
																					 
																					小学生の頃から飛行機に興味を持ち始める。 
																					 
																					昭和11年 芝浦工大グライダークラブにて滑空活動を開始 
																					 
																					昭和12年 大阪府盾津飛行場で行われたグライダー指導者講習会に参加 
																					 
																					      二等滑空士免状を所得 
																					 
																					昭和13年 箱根十国峠山頂より発行し、初の斜面滑空飛行を体験 
																					 
																					昭和14年 芝浦工業大学機械科卒  
																					 
																					満州航空(株)整備工場社内検査勤務 
																					 
																						昭和15年 芝浦工大同級生と共に山口県にて巴航空機(株)を設立。滑空機の設計、製作、試験飛行等に従事。山口県防府市にて山陽グライダークラブを発足、市内大平山(600m)山頂より発航、滞空8時間20分、内夜間飛行3時間、獲得高度1800mの飛行に成功。 
																					 
																					     埼玉県福生飛行場にて行われた文部省主催、全国中等学教員グライダー指導者講習会に     て実技講師として指導にあたる。逓信省一級滑空士、二級滑空教師資格取得。 
																					 
																					昭和19年  日本航空兵器(株)取締役として海軍対潜哨戒機の木製化事業に従事。 
																					 
																					昭和27年 毎日新聞社主催戦後第一回グライダー指導者講習会に参加 
																					 
																					      事業用操縦士(No49)教員証明(No18)資格所得 
																					 
																					昭和28年 萩原木材工業(株)を経て、(株)萩原滑空機製作所、厚木滑空機(株)代表として、各種滑空機の設計、製作、試験飛行等に従事 
																					 
																					昭和28年 複座中級機H-22型シリーズを開発。同型機45機製作 
																					 
																					昭和30年 複座上級機H-23型シリーズを開発。同型機11機製作 
																					 
																					昭和36年 H-23型シリーズの改良型H-23C型シリーズを開発。同型機30機製作 
																					 
																					     神奈川県藤沢飛行場にて第一回グライダー記録会に参加、日本初の△コースによる      51.9kmの距離飛行に成功 
																					 
																					昭和37年 大阪府八尾飛行場にて5時間20分滞空。前年の距離記録と合わせて、国際銀章(No5)資格を取得 
																					 
																					昭和39年 単座高性能機H-32型を開発。 複座高性能機H-24T,H型を東北大学工学部と共同開発              
																					 
																					昭和42年 日本セイルプレーンサービスを発足。代表として、各種滑空機の整備、修理の出張指導サービスに従事。 
																					 
																					昭和53年  オーストラリア、ワイケリー滑空場にて304kmの国際ダイヤ目的地飛行章を取得 
																					 
																					昭和54年  三重県明野飛行場で行われた第2回モーターグライダーラリーにて優勝 
																					 
																					昭和55年  オーストラリア、ナロマインで行われたニューサウスウエールズ州滑空選手大会に参加 
																					 
																					昭和58年 第一回日本滑空選手大会に参加第3位入賞 
																					 
																					昭和60年 オーストラリアナロマイン滑空場にて503kmのダイヤ距離章を取得 
																					 
																					昭和63年 北海道豊頃町にジャパンFRP開発(株)が発足。同社航空事業部嘱託として迎えられ、グライダーの指導、整備を担当、ハロースカイトカチフライングクラブ主任教官として後進の指導に従事。 
																					 
																					平成8年  栃木県黒磯市郊にて、東京グライダークラブ主催によるウェーブキャンプ合宿に参加、最高々度7400m獲得高度5750mを飛行して、国際ダイヤモンド高度章を取得、既に取得済みのダイヤ2種目と共に3ダイヤモンド章を取得した。 
																					 
																					受 賞 等 
																					 
																					昭和60年  (社)日本滑空協会より久富滑空スポーツ賞受賞 
																					 
																					平成 2 年  国際飛行連盟(FAI)よりポール・ティサンディエ賞受賞 
																					 
																					平成 7 年  (社)日本滑空協会より名誉会員に推薦される                 |