航空少年団、懐かしいですね。時は1956年から1964年までの8年間、場所は神奈川県藤沢飛行場。2007年の現在から振り返ると50年近く昔の話になります。藤沢に今戻っても、そこにはもう飛行場はありません。
今こうして振り返ってみると、藤沢飛行場で活動した「航空少年団」は実際に自分たちがグライダーで空を飛んでいた、という点において特異な存在でした。
訓練生は小学校の高学年、中学生、高校生。教官役が20歳前の若者。そして滑走路を全力疾走してグライダーを引っ張り上げる曳航車(馬力が強くて重いアメリカ車)の運転もティーンエイジャーもしくは時として子供。こんな図式はこんにちでは考えることができません。
大胆というか、恐ろしいというか、ともかく今ではあり得ないような活動が藤沢の飛行場では行われていたのです。体重の足りない小さな中学生がバラスト(重し)を尻の下に敷いて単独でグライダーに乗り込み、700フィート(213メートル)から900フィート(274メートル)までの高さまで曳航車またはウィンチ巻き取りで高度を確保してから飛行訓練をする、といった状況は、今から思うと夢の中のできごとのようです。
日曜日の訓練では藤沢飛行場に2本あった滑走路のうち西側の一本は少年団専用で使うことができました。このことを含めて、この素晴らしい環境を提供してくれた当時の大人達(日本飛行連盟理事長小林喜作氏やその他多くの皆様)の寛容、忍耐、そして勇気には感謝の念で一杯です。自分たちが大人になった今になって当時を振り返ってみると、それがどれほど大きな贈り物であったのかを実感することができます。
藤沢の航空少年団の活動を可能にしたのは当時の大人達の胆力を伴った思いやりだったのです。「何かがあったら俺たちが責任を取ってやるから、思いっきり遊べ」という彼らのずば抜けた度量の広さには今になって感嘆させられます。もっとも当時「ガキ」だった私達はそんなことに思い至るはずもなく、ただただ楽しくH-22ひばり号を飛ばすことに夢中でした。
遠い昔の出来事なのに鮮明に思い出すことができる航空少年団での体験、そして仲間達。藤沢飛行場に楽しく日曜日に集ったグライダー好きの少年少女達が、今では孫がいたり、定年退職を迎えたりといった年齢になりました。
無性に懐かしく思える航空少年団を偲んで、ここに当時の写真を公開いたします。
元航空少年団団員の甚吾氏、永井氏、樺島氏、広田氏、そして深田氏から貴重な資料を拝借することができたことで、この企画が実現致しました。皆さんのご親切、ご協力、そして忍耐(資料のご提供をいただいても忙しさにかまけて、更新が大幅に遅れたりしています)には感謝の念に耐えません。
写真にあるガリ版刷り(手書き)冊子「航空少年」は、当ウェブサイトに「Boeing767の操縦とハイジャックテロ」及び「航空機の燃料」を寄稿してくださった元全日空並びにAIRDOの前田仁キャプテンが十代の「あんちゃん」だった頃に編集、執筆、挿絵描きをした航空少年団の機関誌でした。
尚、当時の写真などをお貸し頂ける方が他にもいらっしゃったら、根岸(info@hobun.com)までご連絡ください。是非、当写真集に収録したいと思います。併せて近況などもお寄せ頂ければ幸いです。
H-22「JA0081-ひばり号」の勇姿、忘れることのないあの顔、この顔、グライダー曳航に使った大きなアメリカ車(ポンティアック・ビュイック・キャディラック)、飛行訓練風景、座学、わら半紙にガリ版刷りの「航空少年」、800メーターの滑走路、その滑走路に干してあった牛糞、今では考えられないほどのんびりとした藤沢飛行場周辺の風景、などなど、お楽しみいただけると思います。それでは、ごゆっくりとどうぞ。
編集:根岸兄弟(治郎・俊郎)← 覚えていらっしゃいますか?
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